ガンディー`s historyへようこそ!
ガンディーの今までの人生を振り返りました!笑
自分の整理の為にも書きましたが、境遇が似てるなど少しでも共感してもらえる部分があれば幸いです!!
幼少期
遡ること小学生時代。
低学年までは「昆虫」が大好きでした。
自称昆虫博士で、周りの友達に変な目で見られようが気にせず、自分の好きなことに没頭してました。
同じ昆虫好きの友達にも巡り合い、休み時間は一緒に校内で昆虫採集したり、図書室で図鑑を読んだりして遊んでいました。
今思うと、周りに流されずに唯一自分が見つけた好きなことだったかもしれません。
でもいつしか昆虫好きの自分が恥ずかしくなっていきました…。
異性を意識して休み時間はサッカーや鬼ごっこなど、体を使う遊びをするようになりました。
高学年になり、「野球」に出会いました。
きっかけはみんなが休み時間に楽しそうにやっていたから。
一度混ぜてもらい、やってみたら意外とできる方で友達から「絶対活躍できるよ!」と少年野球チームに誘われ、そのまま入団しました。
習い事なんていままでしたことなかったのに急に「やりたい!」って私から聞いて母は喜んだのかな?
早速週末に練習へ行ってみると、初日から心が折れそうでした。
温室育ちのゆとり世代の私には厳しい練習やミスすると怒鳴られる感じがとても怖かったのを覚えています。
ましてや貴重な土日を毎週こんな厳しい少年野球に捧げるなんて…
すぐ辞めたくなって、入団早々母に「辞めたい」と告げました。
ですが、「1年は続けなさい」と言われて結局5年生から入団して1年で辞めました。
辞めるときに母から「辞めるってことは辛いことから逃げるってことだからね」と強く言われ、子どもながらに罪悪感を感じました。
中学時代
中学生になり、まず最初に部活動に悩みました。
当時の私の中でカッコよかったバスケットボールをしようか悩みましたが、結局元鞘の野球部を選択しました。
少年野球は嫌いでしたが野球は好きだったのと、「逃げた」自分への再チャレンジだったと思います。
野球は思ったよりも順調でした。勉強も良すぎず悪すぎずで私の中学生活は順調でした。
そして、思春期真っ只中の中学3年生の夏。
人生初めての彼女もできました。
当時の私は女子と話すのが苦手でした。
ちょうど中学3年生になったくらいの時から携帯電話を持つようになりました。
その彼女との会話はメールでのやりとりが主で、告白ですらメールでした。
だって面と向かって話すのが恥ずかしかったんですもん。
しまいに彼女からは「メールだとよく話してくれるよね」と言われてしまいました。
それでも恥ずかしくてあまり会話もすることなく別れました…。
この時の教訓で、今後付き合う人はちゃんと自分が話せる人と心に決めました。笑
勉強、部活に恋愛。
中学時代は俗に言う「陽キャ」として過ごしました。
この頃から「周りによく見られたい」、「カッコよく見られたい」といった、ステータス重視の見栄っ張りの原型みたいのが形作られていきました。
そして、きたる高校受験。
私はこの学校に入れたら「カッコいい」だろうなと思って公立高校を第一志望に決めました。
何がカッコいいのかって?
それは”勉強も部活もできて彼女もいる自分”が「県内でも指折りの進学校」に通っているというその状態がイケてると思っていました。
教育理念や校風で選んだ訳でもなく「ステータス」としてこの学校を選んだんだと思います。
まぁ教育理念みて学校選ぶ中学生なんていないかな。
だけど、結局そこは落ちて滑り止めの私立高校へ。
その学校は東京都内にある東京六大学附属の男子高。
万が一を考えて、将来的に「東京六大学」というブランドを身にまとえるように選んでいました。
我ながらナイス!笑
(親には金銭的負担をかけたけど…)
高校時代
この高校生活が僕の人生の1つのターニングポイントだったと思います。
それは「ステータス主義」がより一層身に染みついたという意味で。
私の高校は中高附属で持ち上がりで高校に上がってくる内部進学生も3分の1程度いました。
その内部進学生が埼玉から来た私には衝撃でした。
茶髪に日サロで焼いた黒い肌、ルイヴィトンの財布や香水の匂い、お弁当用に持ってきたヴィドフランスのパン…。
なんだこれ!?高校生か!?と衝撃を受けたのを良く覚えています。笑
入学するまで知らなかったんですが、都内でも有名なギャル男の学校でした。笑
当時はサティのワゴンセールの財布を使っていた自分が恥ずかしく思いました。
そんな校風の高校でしたが、野球部に入り、人生初の丸坊主にして地味に過ごしていました。
案の定、部活は厳しく、最初はついていけませんでした。
でも少年野球の時の経験があったので、「辞めたい」とは思いませんでした。意地でも続けてレギュラー獲ってやるという気持ちでした。
小学生の頃からするとメンタルも成長したなと思いますね。
このチームでの僕のキャラは「いじられキャラ」。
中学までは優等生キャラのスカした奴だったのですが、高校では一変しました。
一歩間違えたらイジメみたいなことも日々ありましたが、私はこの立ち位置が心地よかったです。
中学時代はどこか自分を作り上げていて、無理をしていたんだと思います。
他人に対して素の自分で向き合うことを学んだ気がします。
ほんと仲間に恵まれたなぁと今でも思います。
基本的には高校時代は勉強はそこそこで、部活動に没頭していました。
ですが、周りの影響でブランド物や服や車や都内の遊び場など「見た目」に関わるところはすごく興味があったし、積極的に情報収集してました。
親にもなんとかお願いしてグッチの中古の財布を買ってもらいました。
今思うとほんとに生意気な高校生だったなぁ。笑
人間的には一皮剥けたかなと思える高校時代でした。
ただ、より一層「ステータス」を意識するようにもなりました。
大学時代
そのままエスカレーター式で晴れて東京六大学生に。
大学時代はろくに勉強せず、ひたすらに「キラキラ大学生」を目指していました。
特に出会いを求めて奔走してましたね。笑
キラキラ大学生の1つの要素に女性経験の多さもありました。(独自の基準ですが)
女性経験豊富な悪友としょっちゅう出会いを探してましたねぇ。
まぁ若気の至りでいい思い出です。
そして、就職活動も早めに始まりました。
ほんと勉強いつしてたんだろうって思います。
私はキラキライメージのあったマスコミ業界を志望していたので、就職教室的なのにも参加していました。
それからは面接用のネタ探しの為の学生生活でした。
面接受けするような経験を”作る”為に様々なことにチャレンジしました。
といっても具体的には覚えてないので、記憶に残らない程度のショボいことしかしてなかったんでしょう笑
大学生活の半分は就活に注ぎ込んでいましたが、就活自体は全然うまくいきませんでした。
希望してたマスコミなんて書類すら通らず…。
とにかく数打ち当たれと思って、大手企業ばかり応募しまくりましたがことごとく落ちていきました。
結果なんとか1社だけ大手企業受かりました!
良かったぁ〜これで私の人生は安泰。
東京六大学→大手企業と順調に人生を歩んでいる。
人生は成功した。と思っていました笑笑
こういった私のステータス主義は外部環境もあったんだろうけど、きっと家庭の教育環境も大きかったんだろうと思います。
親の価値観が刷り込まれてたんだろうなぁと今は思います。
だって今現在は親と価値観や意見が全然合わないですから。
そういう意味では親に従順に育ったなぁと思っています笑
社会人(現在)
大学卒業後は晴れて大企業へ営業職で就職。
いきなり地方に飛ばされました。
初配属の地は九州。
九州なんて人生で一回も行ったことありませんでした。
それでも一人暮らし、仕事、九州などなど、初めてのことばかりだったので不安よりも期待の方が大きかったです。
社会人生活は学生生活とのギャップもあり戸惑いも多々ありましたが、なんやかんやでうまくやってきました。(と思っています。)
大手企業の社員ということで自己肯定感もあがり、一生安泰だ!って思ってしばらくは働いていました。
特に大きな挫折もすることなく、(というか人生で大きな挫折を経験したことないですね←これ少しコンプレックス)仕事も順調で、プライベートでは結婚し子どもも授かりました。
絵に描いたような順調な人生。
実はそれまでYouTubeなんてオタクが見るやつでしょ?とかいう偏見で全然見たことありませんでした。
YouTubeを見出してから自分の中での世界が広がり、「ステータス主義」からの脱却をしました。
そこでようやく気づきます。
「敷かれたレールの上を歩いてる人生だったな」と。
このまま死ぬのは嫌だな。何かを変えたい。
そう思って様々なことにチャレンジしています。
30歳を迎える頃、新型コロナウィルスが蔓延しました。
ここで私の人生の価値観が大きく変わりました。
仕事量が減ったり、飲み会が無くなったことで、時間ができ、YouTubeで色んな情報を見るようになりました。
その1つがこのブログです。
長々と自分の人生を振り返ってみました。
立ち止まって振り返るなんて人生初の経験かもしれません。
ここまでお付き合い頂いた方、本当にありがとうございます!!
この記事を読んで、「私と一緒じゃん!」、「分かる分かる!」など、共感して頂けたら幸いです。
こんなガンディーですが、よろしくお願いします。